日々是好日〜社協マン日記〜

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help リーダーに追加 RSS 阿部志郎先生が語るボランティア・市民活動の源流

<<   作成日時 : 2008/02/10 15:16   >>

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2008年2月9日(土)。飯田橋セントラルプラザ。

阿部先生といえば、横須賀市の基督教社会館での地域実践が有名ですが、その他、業界の様々な役職に就かれ、また、「福祉の哲学」「地域福祉のこころ」など著作も多数出されている方です。今年82歳をむかえられ、何よりそのお人柄に心を寄せる福祉関係者も多くいらっしゃいます。私のそのひとりです。

今回は、東京ボランティア・市民活動センター主催の「市民社会をつくる ボランタリーフォーラムTOKYO2008」の一コマに参加してきました。阿部先生の講演のタイトルは「ボランティア・市民活動の源流〜私たち市民は、いかに生きるべきか〜」という根源的なテーマでした。平成7年に起きた阪神淡路大震災以降、ボランティアブームともいえるほど、多様なボランティア活動が展開されるようになりました。しかし、はや10数年経過し、あたらためて「ボランティア活動とは」、「市民活動とはなにか」、人が生きるという根源的な視点から問い直す必要がある、そんな問題意識からのテーマ設定かと思います。

先生のお話は1時間30分ほどでしたが、個人の体験、そして海外を源流とする社会保障の流れ、宗教など、内容が幅広く、かつひとつ一つのエピソードの裏に隠れる内容の深さに改めて驚嘆した次第です。以下、一部内容を書きとめました。私の印象も含めているため、若干不正確かもしれませんが、お許しください。


○2人が、お煎餅を「半分こ」できるかどうか。人間は「自己愛」の動物である。それをどう超えていくか。

○キャサリン台風の時に、「言問い橋」の集落が流された。数日後の救援より、即時の蝋燭一本が人々に災害から立ち上がる勇気や希望を与えた。

○静岡県の御殿場にある神山(こうやま)復生(ふくせい)病院というハンセン病の療養所で、ハンセン病患者のために、看護婦としてその生涯を捧げた女性(井深八重)さんのエピソード。自分がハンセン病でないと分かっても、病院から一生出られない患者を思い、病院を離れず一生をささげた。

○「ちむぐり」(肝苦り)という沖縄の言葉がある。波照間島の強制疎開で自分だけが生き残って申し訳ないという贖罪の気持ち。

○戦後の日本の社会保障はベバリッジ報告をもとに作られた。日本は社会保障の「国家責任」を受け入れ、社会保障制度を整備していった。戦後、お金のない中で共同募金運動なども始まったが、「政府の仕事を民間に押し付けるな!」などの反対運動もあった。ベバリッジ報告には、国家責任とともに、「国民の協力なくして国民の福祉は達成できない」という部分があり、日本はそれを当時導入しなかった。岩倉具視などの使節団がロンドンのスラムを視察したときに、「救貧はほどほどに〜」という劣等処遇の考えを持ち帰ったが、実はスラムでボランティア活動をしていた人々が少ないことに気が付かなかった。「ボランティアをしていない人」が「ボランティアをしている人」に対し、罪の意識をもっている、ボランティア活動はしてもしなくてもよい活動であるが、することが当たり前の社会が作られてきた。

○日本では、こうして行政に依存する考えが一般化し、自分の体を動かさないということを覚えた。それが福祉国家と思ってきた。しかし、「阪神淡路大震災」がそのことに警鐘をならした。被害の大きかった長田区では3/4の人が近隣に助けられたというデータがある。住民が行政にかわって市民の生活を支えたということ。

○アジアの仏教では、朝、村に托鉢に出る。すると村人が食べ物をお布施する。お坊さんは立ったまま、御礼もしない。むしろ、布施をする側がひざまずく。与える機会を与えられているという恵があるから。ヨーロッパは「与える文化」を創ってきた。日本は与える、与えられること供に未熟である。しかし、逆に新しい文化をつくっていく余地があると思う。

○日本には、半返しの文化、「互酬性」という風土がある。例えば結婚式の時の引き出物など。お返し主義ともいえるかもしれない。例えば、農作業の「手間貸し」、「手間返し」など。ヨーロッパも互酬性があったが、コミュニティ社会が発展するにしたがって無くなっていった。しかし、これらは知り合い同士の相互扶助であり、「福祉」とは言えない。知らない人、第3者への手を貸すことが福祉である。

○40年前に、駐日アメリカ大使のライシャワーさんが刺され輸血を受けた。その輸血によって肝炎を起こし、ついにこれが命取りになった。このため、日本政府はそれまでの売血をやめて献血制度にした。この時の献血制度は、「自分が血液を必要とする時は同量を優先的に提供される」即ち「互酬」の考え方だ。今の献血制度は、一方的に捧げる献血で、「互酬の普遍」、「連帯」に変わった。その他、自分が関東大震災で色々な人に助けられたからといって、災害のあった奥尻島へ多額の義捐金を送ったという話が新聞に出ていたことがある。この事例から「互酬の普遍化」を確信した。

○「優しい」という言葉は「憂い」に人が関わると書く。人が関わることで優しさが生まれる。

○ボランティアとは小さい「業」(わざ)である。ひとりでできることは少ない。黙々と取り組むことである。

○「日供」(にっく)という言葉がある。神様へのお供えのとして、お米を炊いたときに一握りのこし、それを別に取っておく。毎日繰り返すと、お米が蓄えられる。災害や貧しい人への分け与えるものとして使われた。皆で実行していけばどれだけ大きな力になることか。

○「鳥がついばむとも、種を蒔き続けることを恐れるな」という言葉がある。これはセツルメントとの考えの基本である。



以上ですが、なかなか簡単に理解できる内容ではありません。しかし、今回、「互酬性の普遍化」という言葉に、強い印象を受けました。地域支え合いが盛んに言われる今日ですが、地域支え合いというとどうも限られた人の中でというニュアンスが漂います。助け合いの精神はそのままに、それを知らない他者へどう広げていくことができるか。今回の先生のお話は市民の生き方として、自分以上に他者を尊重できるか、他者のために自分は何ができるかなどを、考えるきっかけを与えてくれたものと思います。皆さんはどのように考えますか?

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